2010年9月2日木曜日

日清戦争と軍事のバランス-日清戦争の世界史的意義

しかし日清戦争はむしろ、極東の均衡に決定的な影響を
与えたいという意味で世界史的な事件でした。

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それまで清国は次々に領土を失いましたが、その経緯をみると、
必ずしも基本的な国力、軍事力の弱さからだとも言えず、
時の政府の無能、または辺境領土に対する関心の薄さ、
あるいは近代帝国主義の扱いの不馴れなどに起因するところ
大きく、現に取られた領土も、海島か辺境、あるいはビルマ、
安南のように名目的な宋主権をもっていた地域だけで、
中国本土の安全に直接関係あるようなところは
手放していません。

しかも北京条約以降は立ち直って、西太后の下に
「同治の中興」と言われるような内政の安定をみせ、
富力にまかせて海軍を拡張した中国は、隠然として
世界列強の一をなしていました。

その清国が弱小日本に負けて、満州族の本拠である
直隷の地まで割譲に同意し、もう見るべき軍事力も
財力もないとなったら、列強が見逃すはずありません。

はじめは清国の財政が日本はの賠償で窮乏したのに
目をつけての露、英、独、仏の借隷供与競争、
次には鉄道利権の争奪、それからロシアは旅順、
大連、英国は威海衛、九竜、フランスは広州湾と
相つぐ租借地の獲得、ついで中国本土における
各国の勢力範囲の設定と、わずか三、四年の
あいだに、中国は大帝国から半植民地に転落して、
列強による中国分割さえ公然と議論されるようになります。

日清戦争が中国没落の決定的要因となったことは、
もはや歴史の定説となっているので考証の要も
ないのですが、ロストフスキーの「東方経略史」を
引用してみますと、1881年のイリ条約のころは、
ドイツは「支那は人々も多く武器、軍需品も豊富」だという
「支那の実力に関する誇張された感覚で抑制されていた」
のだが、いまやその弱体を日本に曝露され、
ビスマルクの失脚で「舵取り」を失い、植民地獲得に
野心満々たるカイザーにとって「機会はあまりにも
誘惑的であり」、ドイツが曜州湾を取ると、
「他のヨーロッパ諸国も熱心にこれにならい、
歴史上最も恥ずべき一章をつくった」と
書いています。

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