2010年6月30日水曜日

二つの民族の歴史経緯の差(1)

日本が海に囲まれているとか、台風が多いとかいう
地理的特性はいうまでもないことだが、
日本の地理的特性の意味を考えるには、
近似した民族であり、歴史上ある時期に
たまたま朝鮮海峡の南北に分かれて
住んだだけだといえる、日韓両民族の
歴史的経験の差を考えることが有益と思う。

そのためには、日本に対する唯一の
本格的侵攻の歴史である元寇のときを
考えるのが手っ取り早い。

豪古高麗侵入はまったく理不尽なもので、
両国のあいだにあった契丹を滅ぼすときは
同盟関係だったのだが、豪古は契丹を滅ぼすと
高麗に服従と朝貢を命じ、そのときの使者の
態度などは高麗王を王とも思わずひどい
侮辱的なものだった。

高麗はそれでも我慢して、毎年莫大な
貢物を献じて平和を保つが、それは豪古が
西域と金を攻めているあいだだけのことで、
それがすむと、豪古は6年前の事件を盾にとって
侵入を開始し、第殺戮を行う。

北条時宗が豪古の使を斬ったのも
国際礼儀を無視した乱暴のようにみえるが、
その40年前の高麗における豪古の
やり方が正確に伝わっていたとしたならば、
服従して動物のように扱われ、戦争をするしか
なかったのだから、使者を斬って
ポイント・オブ・ノーリターンに自らを
追い込んで抵抗の国論を統一するためにも
無理のない選択だった。

2010年6月29日火曜日

例外的安定をうみだしたものは

近代前の日本をめぐる戦略的環境は、
世界史上稀に見る安定性を示している。

もちろん周辺のアジア情勢は幾多の
変転を重ねている。

中国の歴史は宋が滅びるまでがいわゆる
十八史、その後、元明清をへて近代に
至るまで王朝の交代をくり返し、
朝鮮半島も、唐朝以降は中国王朝交代の
影響をモロに受けて、古代の三国から
新羅、高麗、李朝と交代している。

その間、日本は、有史前にあったらしい
天孫民族の日本征服以降は外敵による
日本の征服はただの一度もなく、日本の
王朝は一度も交代していない。

この事実が戦前の史観では、万邦無比と
いうことで、日本の超国家主義の根拠の
一つとなったことはまだ記憶に新しいところだ。

近代前とは、日本にとっては二つの大きな
戦略的環境の変化の起る前を意味している。

一つは中国が極東における支配的な力を
失ったことで、もう一つはいわゆる西力東漸の結果、
それまでは戦略的に真空地帯であった太平洋と
シベリアが、欧米の軍事的な力で
埋められるようになったことだ。

そして、この近代前の環境における
例外的な日本の平和を支えたものは、
もちろん日本の地理的特性だが、それに加えて
中華帝国というものの独特な性格と
その間に介在する朝鮮半島住民の
特殊な民族性が果たした役割がある。

2010年6月28日月曜日

日本の国家戦略を論じるにあたって(5)

ここで一つのの試みとして、国家戦略論の
いちばん基礎的な事実関係である日本の
歴史と地理からはじめたいと思う。

そして、最終的には現在の日本をとりまく
戦略的環境ができるかぎり客観的に
解明されることによって、日本にとって
何が必要かがおのずからわかってくることを
期待する。

これは私の持論である情報重視からいっても
正攻法である。

「問題が全部わかれば問題は半ば解決したも
同然だ」というのは真理である。

まず客観情勢を綿密に分析評価していけば、
その対策はおのずから出てくるものだ。

日本国家戦略という大きな問題を考えるに
際しては、日本の歴史と地理という最も
基本的なものを知り尽くしてから論じるのは、
むしろあたりまえの方法論といえる。

その意味で、本書では日本の国家問題には深く
立ち入る余裕はないでしょう。

戦後日本の平和主義、憲法、非核三原則、
安保条約等をめぐる過去三十年間の
国会等における議論の蓄積は大きなものが
あり、私自身もその議論をことごとく
論じるように訓練されてきた。

しかし、本論の目的は、日本の国内事情を
中心とする天動説的立場から日本の
防衛策を論じることではない。

日本の政治は最終的にはその時点における
国内事情が許す範囲内で防衛政策を決定する
のだが、その決定に際してまず参考とすべき
客観的諸条件の判断において、国内事情から
くるこだわりや希望的観測は一切排除して、
できるかぎり雲りのない眼でみることを
期するのが本論の目的。

いずれにしても戦略論というものは日本では
まだまだ未開拓の分野で、糸口を見つけるのさえも
難しいような状況だから、あえて蛮勇をふるって
政府の立場を離れて個人の意見を述べさせて
いただくわけだから、私が独りで考えた意見の
中に、どこか未熟なものがあるおそれのあることは
自分でも充分認識している。

そこからもっと本格的な戦略論が生まれて
くることを期待している。

2010年6月27日日曜日

日本の国家戦略を論じるにあたって(4)

天秤の妥当な点はここだと本人が判断していながら、
それよりも左のほうにぶら下がって、
国全体のバランスをとろうという考えです。

妥当な点にいる人からは
「お前の立場は非論理的だ」
と指摘される、インテリとしては堪え難いはずの
精神的屈辱にあえて堪えながら国家全体の
バランスをとる役目を果たす

そう考えればノーブルな態度といえるかもしれないが、
そういうことを言っていたのでは、いつまでたっても
論理の整合性を軸とする国民の合意ができないではないか。

やはり、皆が本当に正しいと信じることだけを
発言することによって、おのずから客観的妥当性のある
国民的合意もでき、その中にこそ真のデモクラシーによる
歯止めもできるのでしょう。

「本当はこうなのだが、それを言うと世論が突っ走ってしまう」
あるいは「世論がソ連をおそれてフィンランド化する」、
だから「この程度と言っておこう」という「バランス感覚」は
民衆の判断力に対する不信であって、
デモクラシーの原則に反します。

故椎名悦三郎氏が口癖に言っておられた
「それ民は賢にして愚、愚にして賢」であって、
大衆の良識というものは無視できないものがある。

「自分はインテリだから大丈夫だが、
他の人はすぐ右傾する」というエリート意識で
独善的に情報操作すると、かえって大局を
あやまるおそれがある。

日本という風土において、客観的な事実と論理の
整合性を基本とした議論の上に立ったコンサンセスを
つくり上げていくことがいかに困難か
絶望的な感じします。

2010年6月26日土曜日

日本の国家戦略を論じるにあたって(3)

国際情勢のきびしさは認めつつも、
種々の国内制約のために軍備の不十分を藪く。
これは、古今東西変わりない現象です。

日本だけ、いまやっていることにつじつまを
合わせて、これでいいんだ、とすましていても、
それはただ作文したというだけのことである。

現に日本の首脳会談等では、情勢のきびしさは
認めながら、日本は米国の期待するほどのことは
できないと説明していますが、その理由は、
国民のコンセンサスの必要であり、財務事情であって、
こういう正直な態度の方が、長い眼で見て国家間の
信頼関係によいのではないかと思う。

もう一つは「自分の見通しでは日本の防衛予算は
いずれGNPの1.5か2%ぐらいにはなり、
その結果日本の防衛体制もよいかたちになり、
米国との協力もうまくいくと思う」

2010年6月25日金曜日

日本の国家戦力を論じるにあたって(2)

つい最近でも日本人にとって論理性とは何か、
ということを再び考えさせらた例が2つあった。

日本人の防衛感覚もずいぶん変わってきて、
もう60年安保のような対立は過去のものとなった
ようだが、一つは「米国が期待するほど防衛努力を
日本ができないのならば、その前提となる
極東の軍事情勢判断で米国と一致すべきではない」
という議論で、これにはいささか驚いた。

「それはつまりソ連の潜在的脅威の程度を、
日本がいまのところ整備可能な防衛力に
見合う程度だと判断することですか?」と
反問してみたところが、

二、三のやりとりのあとで、
まさにそう考えておられるのだとわかって
二度びっくりした。

そうしないと「論理の整合性がなくなる」という。

これは「論理の整合性」というべきものではない。

これでは、現在の国家情勢の下ではこのあたりが
妥当なところだろうという、客観性のある日本の
防衛戦略はけっしてできてこない。

2010年6月24日木曜日

日本の国家戦略を論じるにあたって(1)

日本の国家戦略を論じるにあたって、
私は、今度こそはなんとかしてポレミックス
(ああだこうだといういい合い)だけで
終わってしまいたくない気持ちだ。

戦後あれだけの防衛論争だありながら、
賛否論と反対論のあいだの勢力の
消長はあっても、その立場はちっとも
収拾してこない。

この理由を私は年来不思議に思って、
あるいは日本のデモクラシーになにか
欠陥があるのではないかとさえ思ったことも
あるが、社会学や文化人類学の先生方の
教えを乞うているうちに、日本人が
論理的なものの考え方に弱いからではないかと
いうことがわかってきた。

日本人というのは、過去の経緯で
出来上がっているものを工夫して
改善していく点ではおそらく
世界一といえるくらいの能力を
発揮するのだが、肌で感じないとなかなか
理解しない国民なので、何もないところに
論理的な整合性のある構築物を作り上げる
ということになると、はたと当惑して
しまうところがある。

まして、それを、コンサンサスの上に
築き上げていくこととなるとまずは
不可能事ということになる。

日本の防衛体制も、それを支える理念も、
敗戦でそれまでのことが全部御破算になって
ゼロから出発した。

また、旧軍との関係はまったく断ち切ると
いうことで、意図的にゼロから出発した面もある。

しかし戦争というと、いつ起こるのか、
成り行きいかんでは何十年も起こらないで
すむかもしれないものについて考えるのだから、
相当な、抽象的論理的思考が必要になる。

ということで、「何を守るのか」「何から守るのか」
というところまで遡って議論しなければ
ならなくなる。

それ自体は悪いことではないが、
それがギリシャ哲学のように対話によって
理論的なコンセンサスができていくのと
反対に、それぞれの政治的立場が
先に決まっていて、それを正当化するための
「論理」の構造が自分で増殖して、船の底の
カキがらのように重くなってくだけだという
傾向があった。