天秤の妥当な点はここだと本人が判断していながら、
それよりも左のほうにぶら下がって、
国全体のバランスをとろうという考えです。
妥当な点にいる人からは
「お前の立場は非論理的だ」
と指摘される、インテリとしては堪え難いはずの
精神的屈辱にあえて堪えながら国家全体の
バランスをとる役目を果たす
そう考えればノーブルな態度といえるかもしれないが、
そういうことを言っていたのでは、いつまでたっても
論理の整合性を軸とする国民の合意ができないではないか。
やはり、皆が本当に正しいと信じることだけを
発言することによって、おのずから客観的妥当性のある
国民的合意もでき、その中にこそ真のデモクラシーによる
歯止めもできるのでしょう。
「本当はこうなのだが、それを言うと世論が突っ走ってしまう」
あるいは「世論がソ連をおそれてフィンランド化する」、
だから「この程度と言っておこう」という「バランス感覚」は
民衆の判断力に対する不信であって、
デモクラシーの原則に反します。
故椎名悦三郎氏が口癖に言っておられた
「それ民は賢にして愚、愚にして賢」であって、
大衆の良識というものは無視できないものがある。
「自分はインテリだから大丈夫だが、
他の人はすぐ右傾する」というエリート意識で
独善的に情報操作すると、かえって大局を
あやまるおそれがある。
日本という風土において、客観的な事実と論理の
整合性を基本とした議論の上に立ったコンサンセスを
つくり上げていくことがいかに困難か
絶望的な感じします。
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