2010年6月27日日曜日

日本の国家戦略を論じるにあたって(4)

天秤の妥当な点はここだと本人が判断していながら、
それよりも左のほうにぶら下がって、
国全体のバランスをとろうという考えです。

妥当な点にいる人からは
「お前の立場は非論理的だ」
と指摘される、インテリとしては堪え難いはずの
精神的屈辱にあえて堪えながら国家全体の
バランスをとる役目を果たす

そう考えればノーブルな態度といえるかもしれないが、
そういうことを言っていたのでは、いつまでたっても
論理の整合性を軸とする国民の合意ができないではないか。

やはり、皆が本当に正しいと信じることだけを
発言することによって、おのずから客観的妥当性のある
国民的合意もでき、その中にこそ真のデモクラシーによる
歯止めもできるのでしょう。

「本当はこうなのだが、それを言うと世論が突っ走ってしまう」
あるいは「世論がソ連をおそれてフィンランド化する」、
だから「この程度と言っておこう」という「バランス感覚」は
民衆の判断力に対する不信であって、
デモクラシーの原則に反します。

故椎名悦三郎氏が口癖に言っておられた
「それ民は賢にして愚、愚にして賢」であって、
大衆の良識というものは無視できないものがある。

「自分はインテリだから大丈夫だが、
他の人はすぐ右傾する」というエリート意識で
独善的に情報操作すると、かえって大局を
あやまるおそれがある。

日本という風土において、客観的な事実と論理の
整合性を基本とした議論の上に立ったコンサンセスを
つくり上げていくことがいかに困難か
絶望的な感じします。

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