2010年6月25日金曜日

日本の国家戦力を論じるにあたって(2)

つい最近でも日本人にとって論理性とは何か、
ということを再び考えさせらた例が2つあった。

日本人の防衛感覚もずいぶん変わってきて、
もう60年安保のような対立は過去のものとなった
ようだが、一つは「米国が期待するほど防衛努力を
日本ができないのならば、その前提となる
極東の軍事情勢判断で米国と一致すべきではない」
という議論で、これにはいささか驚いた。

「それはつまりソ連の潜在的脅威の程度を、
日本がいまのところ整備可能な防衛力に
見合う程度だと判断することですか?」と
反問してみたところが、

二、三のやりとりのあとで、
まさにそう考えておられるのだとわかって
二度びっくりした。

そうしないと「論理の整合性がなくなる」という。

これは「論理の整合性」というべきものではない。

これでは、現在の国家情勢の下ではこのあたりが
妥当なところだろうという、客観性のある日本の
防衛戦略はけっしてできてこない。

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