2010年6月24日木曜日

日本の国家戦略を論じるにあたって(1)

日本の国家戦略を論じるにあたって、
私は、今度こそはなんとかしてポレミックス
(ああだこうだといういい合い)だけで
終わってしまいたくない気持ちだ。

戦後あれだけの防衛論争だありながら、
賛否論と反対論のあいだの勢力の
消長はあっても、その立場はちっとも
収拾してこない。

この理由を私は年来不思議に思って、
あるいは日本のデモクラシーになにか
欠陥があるのではないかとさえ思ったことも
あるが、社会学や文化人類学の先生方の
教えを乞うているうちに、日本人が
論理的なものの考え方に弱いからではないかと
いうことがわかってきた。

日本人というのは、過去の経緯で
出来上がっているものを工夫して
改善していく点ではおそらく
世界一といえるくらいの能力を
発揮するのだが、肌で感じないとなかなか
理解しない国民なので、何もないところに
論理的な整合性のある構築物を作り上げる
ということになると、はたと当惑して
しまうところがある。

まして、それを、コンサンサスの上に
築き上げていくこととなるとまずは
不可能事ということになる。

日本の防衛体制も、それを支える理念も、
敗戦でそれまでのことが全部御破算になって
ゼロから出発した。

また、旧軍との関係はまったく断ち切ると
いうことで、意図的にゼロから出発した面もある。

しかし戦争というと、いつ起こるのか、
成り行きいかんでは何十年も起こらないで
すむかもしれないものについて考えるのだから、
相当な、抽象的論理的思考が必要になる。

ということで、「何を守るのか」「何から守るのか」
というところまで遡って議論しなければ
ならなくなる。

それ自体は悪いことではないが、
それがギリシャ哲学のように対話によって
理論的なコンセンサスができていくのと
反対に、それぞれの政治的立場が
先に決まっていて、それを正当化するための
「論理」の構造が自分で増殖して、船の底の
カキがらのように重くなってくだけだという
傾向があった。

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