及んでいません。
元寇のときと状態が最も近いところまでいったのは
朝鮮戦争のときで、李承晩政府は、元寇のときの
高羅政府と同じように敵との力の差がありすぎては
かばかしい抵抗もできず、南部の海岸の西半分まで
北朝鮮軍に制圧されるが、その後は国連軍が釜山の
橋頭をよくもちこたえて反撃に転じました。
これだけからも、大陸に膨張主義的な大国-あるいは
外征を不徳とするような特殊な道徳をもたない
普通の大国-が出現して、朝鮮半島南部の抵抗が
崩壊して、大国の勢力が南部まで及んだ場合は、
極東の均衡の条件が崩れて日本に危機が迫るという、
考えてみればあたりまえすぎるようなことが、
日本の戦略的環境にとって真理として残ることに
帰結します。
後に述べるとおり、日露戦争の前に、巨大ロシアを
相手に日本が本当に戦争するかどうかの判断は、
一にかかって、そのままでは半島南部ままでは
半島南部までロシアが進行してくるかどうかの
見通しだけでした。
この地理的条件が、沖縄返還のときの
佐藤・ニクソン共同声明における
「韓国の安全は日本自身の安全にとって緊要である」
という思想にもつながって現在に至るわけです。
もちろん、半島南部を取られたからといって、
それが日本の破滅ということではなく、
そこから日本の正念場が始まるわけです。
現に大陸の力が圧倒的に強くて抗し難いというときは
半島南部のバッファーがなくなるという状態が
現出していますが、そういう場合は、白村江の後とか、
元寇のときのように、西日本は要塞化し、全国的に
動員態勢をとる必要が生じています。
自衛隊の前身の警察予備軍の発足も、
朝鮮戦争勃発二週間後のマッカッサーの
指令によるものです。
結局は今も昔も同じことで、半島南部の
海空軍基地が非友好的勢力の手に陥ちた場合を
考えると、日本が追加的に必要となる
防空能力、制海能力、揚陸阻止能力、ひいては日本の
防衛体制全般は、現在のものと質量共に
抜本的に異なるものとならざるを得ないでしょう。
ランキング応援クリック、お願いします。
↓
0 件のコメント:
コメントを投稿