2010年7月26日月曜日

韓民族の抵抗(1)

外征を不徳とする中国の思想が確立するのは、
実は、日本が統一国家として歴史に登場する
隋唐のころからなのだが、この思想が確立する
主たる原因は韓民族の抵抗にあったからといっても
言いすぎではない。

十八史略のそのころの記述を読むと
その間の事情がよくわかる。

隋の楊帝については、
「大業七年、帝みずから将となって天下の兵を
徴して高麗を撃った。・・・人夫が数十万で
昼夜絶えず米を廻し、死人が枕を並べるようになり、
民衆は困窮して、ここではじめて郡盗をなすようになった」
とあり、あとは、十八史略独得のテンポで、急坂を
転がり落ちるように隋王朝の没落を描いている。

この時の高句麗の戦いぶりは見事なものだ。

将軍乙支文徳は戦っては偽って逃げ、
隋軍を平壌城のそばまで深く誘いこみ、
平壌城が堅固で攻めあぐねた隋軍が
引き上げて清川江を半ば渡ったところを
痛撃して、三十万五千の遠征軍のうち、
帰ったのは僅かに二千七百人という
大勝利をおさめる。

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