高麗朝の政府は江華島に立て篭もり、舟戦を知らない
豪古勢は30年も攻めあぐねるが、江華島以外の朝鮮半島は
豪古兵の暴行略奪の対象となり、この30年間の高麗の
人民の惨苦は言語に絶するものがあった。
1252年の来寇のときの記録を見るだけでも
「豪古の虜にする所、男女無慮二十万六千余人、
射殺せらしめし者あえて計うべからず。
経る所の州郡皆猥儘となる」とある。
ある韓国の人は、このときの例をひいて、
「日本人は何のかのといってもお国の世話になった記憶があるが
韓国人にはそれがない。
このときも人民は見捨てられていた。
したがって国民の国家観もおのずから異なってくる。
それぞれの国民は歴史も、伝統も、
したがって国民性も異なる。
異なるとということと善悪は別の問題なのだが、
日本人はこれを混同する悪い癖がある」
と言っていた。
この朝鮮半島の人々が受けた惨苦に較べて、
日本が一度も異民族の支配を受けたことがなかったという
事実は、国際政治のきびしさに対する
日本人の考え方の甘さや楽天主義の元になっている。
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