幕末に筒井肥前守などが対露政策を論ずるように
命ぜられて書いた文書には、ロシアが樺太まで
入ってきたような自体について
「かかる例は御国にはこれ無く候。
余の儀なく唐土の例を以って勘弁仕り候ところ」
として、漢も唐も強くなってからこれを
征服したという例を挙げ、ここは、日本の力がつくまでは
和親しかないと論じている。
この程度の歴史論でも
「わが皇国は外国の侮りを受けていない」
云々などという日本中心の天動説の攘夷論に
まさること万々だ。
我々は戦略論を考えようとしているのだが、
戦略論とは、すなわち歴史の研究、解釈であると
断言しても、かなり正統派の考え方として通用する。
「アレキサンダーからフレデリックに至る偉大な指導者の
作戦を何度も繰り返し読め」といったのはナポレオンだった。
孫子やクラウゼビッツは歴史的体験を抽象化して
まとめ上げているが、クラウゼビッツとなると、
もう、ドイツ観念論で整理しすぎて、種々の点について、
後世の戦略家達から、「そうも割り切れないのではないか?」
という疑念が表明されている。
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